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Society5.0は脱工業化社会(6)

前回の記事「Society5.0は脱工業化社会(5)」を更新したあと、Facebookで友人から質問をもらいました。質問内容は「(前略)長幼の序が依然として残ってる日本では(脱工業化は)なかなか難しいんではないかい?」というものでした。おっしゃる通り。脱工業化社会を推進しようとする人もいれば、反対する人もいます。脱工業化は一筋縄では進まないでしょう。

そこで今回は、脱工業化社会を推進している人達と、反対している人達について考えていきたいと思います。脱工業化社会に反対している人達は、なぜ反対しているのか。脱工業化社会を推進している人達には、どのような思惑があるのか。一緒に考えていきましょう。(予定していた「学校における個別最適化の取り組み紹介」は、このテーマの後に書きたいと思います。)


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維持派 vs 推進派

教育業界に限らず全ての業界で、「工業化社会に留まろうとする派」と「脱工業化社会を進めようとする派」のせめぎ合いになるでしょう。このパワーバランスに様々な要因(人口問題など)が重ね合わさって、その業界で脱工業化が進むか否かが決まります。

「工業化社会に留まろうとする派」を維持派と呼び、「脱工業化社会を進めようとする派」を推進派と呼ぶことにしましょう。工業化社会の維持派メンバーは、大きく2つ考えられます。ひとつは、今の社会における既得権益者です。彼らは市場にばらまかれている情報の非対称性を利用し、その情報格差をテコに市場で儲けています。真の脱工業化社会では「情報の非対称性」は解消されますので、当然この人たちは脱工業化に反対します。もうひとつの工業化社会の維持派は、そもそも変化を嫌う人です。イノベーター理論でいうところのラガード(遅滞層)にあたる人達です。彼らは今の工業化社会が居心地が良いので、既得権益者と同じように脱工業化に反対します。

それでは、脱工業化社会の推進派メンバーはどうでしょうか。実は、推進派も一枚岩ではありません。推進派は、「修正された工業化社会」を目指す勢力と、「真の脱工業化社会」を目指す勢力のふたつに分かれるのです。このふたつの勢力を理解するためには、「修正された工業化社会」と「真の脱工業化社会」について知っておく必要があります。

「修正された工業化社会」と「真の脱工業化社会」

真の意味で「個性化・統合化・非同時化・分散化・適正規模化・地方分権化」が実現された脱工業化社会と、今現在の工業化社会の間には、実はもうひとつステージが存在します。それが「修正された工業化社会(修正工業化社会)」です。

修正工業化社会のベースは、工業化社会です。したがって修正工業化社会の制度の根幹は、工業化社会のコード(規格化・分業化・同時化・集中化・極大化・中央集権化)で出来ています。ただし、その枝葉においては、脱工業化社会のコードが含まれているのです。修正工業化社会とは「工業化社会の一部だけが脱工業化社会に修正された社会」なのです。

一方、「真の脱工業化社会」は、真の意味で脱工業化社会のコード(個性化・統合化・非同時化・分散化・適正規模化・地方分権化)が実現された社会のことです。修正工業化社会とは異なり、脱工業化社会の制度の根幹は全て脱工業化社会のコードで置き換えられています。修正工業化社会が「社会の改良」ステージだとすると、真の脱工業化社会は「社会の改革」ステージだと言えます。

イメージしやすいように教育業界の例で考えてみましょう。学校で学ぶ内容は学習指導要領によって規格化されています。この現行の学習指導要領の制限下において、各学校は努力して個別最適化の教育を実施していますが、この状態は修正工業化社会だと言えます。真の脱工業化社会ではどうなるのでしょうか。真の脱工業化社会では、制度の根幹である学習指導要領自体が「脱工業化社会のコード」で作り直されることになります。つまり、規格化からの解放です。「真の脱工業化社会」は、まさに「社会の改革」のステージなのです。

このように、真の脱工業化社会と修正工業化社会との間には大きな隔たりがあります。当然、推進派のふたつの勢力、「修正された工業化社会」を目指す勢力と「真の脱工業化社会」を目指す勢力は、その本質において大きな違いが出てきます。次回は、その違いについて考えていきたいと思います。(続く)