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Society5.0は脱工業化社会(5)

前回は「脱工業化社会がどのような社会になるか」をみてきました。脱工業化社会は個別最適化された社会で、異質なもの同士をコラボレーションする発想が大事になります。さて、このような新しい時代を迎えるにあたって、子供たちが幸せに生きるためには、どのような教育が求められるのでしょうか。脱工業化社会の教育について考えていきたいと思います。


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脱工業化社会の教育

個性化・統合化・非同時化・分散化・適正規模化・地方分権化の脱工業化社会の時代において、教育や学校はどのように移り変わっていくのでしょうか。キーワードは多様性学習者主体個別最適化の3つだと私は考えています。

まずは多様性です。「子供たちの多様性」という側面もありますが、ここで強調しておきたいのは「学校の多様性」です。時代が脱工業化社会になるにつれて、「東大を頂点とする学歴ピラミッドの中の椅子取りゲーム」から「子供にあわせた多種多様でフラットな学校選び」に価値観は移っていくでしょう。その際に社会から求められるのが「学校の多様性」です。何らかに特化した学校がこれからたくさん登場してきます。(例えば、アカデミックに特化して科学者を目指すための学校、海外大学進学に特化した学校、地元企業と連携して就労体験ができる学校、などなど。)

次は「学習者主体の教育」です。「学習者主体の教育」の対義語は「教師主体の教育」です。いわゆるチョーク&トークの授業から、アクティブ・ラーニング(主体的・対話的で深い学び)に移るイメージです。ただし「先生の決めた型通りのアクティブ・ラーニング」、苫野一徳先生の言葉をお借りすると「一斉アクティブ・ラーニング」はダメです。脱工業化社会では、真の意味での「学習者主体の教育」が親と子供から求められます。

最後のキーワードは「個別最適化された教育」です。個別最適化を考える時に大事なのは、その主語です。工業化社会の人が考える個別最適化の主語は、学校であり教師です。脱工業化社会の人が考える個別最適化の主語は、子供であり親です。そして、子供と親が「個別最適化する様々な道」を選択できるためには、「各学校が多種多様なアドミッションポリシーを掲げる」ことが必要不可欠です。「個別最適化」は「多様性」と対になっています。

個別最適化された教育

「個別最適化された教育」についてもう少し考えてみましょう。「個別最適化された教育」にはマクロの視点とミクロの視点があります。「マクロの個別最適化」とは、先ほどの学校選択の視点です。多種多様な学校がたくさん登場してくれば、子供と親はその学校の中から「個別最適化する様々な道」を選ぶことができます。「学校選択の個別最適化」と言ってもよいでしょう。これが「マクロの個別最適化」の視点です。

「ミクロの個別最適化」とは、学校の中における「生徒一人ひとりに個別最適化」する視点です。現在の多くの学校では、同じクラスにいる生徒たちは同じ内容を、同じ時間、同じペースで学ぶことを求められています。このような学校パラダイムは「工場モデル」と呼ばれており、本質的に「多くの子供たちを置いてきぼり」にするようデザインされています。脱工業化社会では、「工場モデルの教育」から「個別最適化された教育」にパラダイム転換していくでしょう。個別最適化された教育には、学習進度の個別化・学習内容の個別化・学習方法の個別化などが含まれます。これが「ミクロの個別最適化」の視点です。

このようにして、脱工業化社会のコード(考え方)に照らし合わせて考えると、教育はマクロ・ミクロの両面から個別最適化されていく方向に進むでしょう。しかし、今の学校制度は工業化社会の考え方をベースに作られています。学校指導要領によって学ぶべき内容は規格化され、学校自体は文部科学省や都道府県教育委員会による中央集権で統制されています。このような環境下において、学校教育はどのようにして個別最適化の道を進めるのでしょうか。次回は学校における個別最適化の取り組みについて見ていきたいと思います。(続く)