(承前)真の意味で「個性化・統合化・非同時化・分散化・適正規模化・地方分権化」が実現された脱工業化社会と、今現在の工業化社会の間には、実はもうひとつステージが存在します。それが「修正された工業化社会(修正工業化社会)」です。
真の脱工業化社会と修正工業化社会との間には大きな隔たりがあります。当然、推進派のふたつの勢力、「修正された工業化社会」を目指す勢力と「真の脱工業化社会」を目指す勢力は、その本質において大きな違いが出てきます。今回はその違いについて考えていきたいと思います。
ポテンシャルの山
最初に「工業化社会」「修正工業化社会」「真の脱工業化社会」の関係を整理しましょう。工業化社会と修正工業化社会は、ベースが同じ工業化社会なので、その変化は連続的です。一方、真の脱工業化社会は、工業化社会・修正工業化社会とは異なる脱工業化社会のコードがベースになるため、その境界は不連続になります。真の脱工業化社会に移行するには社会的に大きなエネルギーが必要になるため、その境界には「ポテンシャルの山」があると考えられます。
脱工業化社会の推進派は、この「ポテンシャルの山」を越えて「真の脱工業化社会」を目指す勢力と、「ポテンシャルの山」は登らずに「修正工業化社会」に留まりたい勢力に分かれます。それぞれの勢力の思惑について見ていきましょう。
修正工業化社会に留まりたい勢力
修正工業化社会に留まりたい勢力、これはつまり、工業化社会からは脱したいけれど「真の脱工業化社会」には到達したくない勢力です。彼らの思惑は、いったい何でしょう?
ポイントは、その社会における「情報の非対称性」にあります。工業化社会の既得権益者は、市場にばらまかれている情報の非対称性を利用し、その情報格差をテコに市場で儲けていました。この「情報の非対称性」は、真の脱工業化社会では解消されます。修正工業化社会ではどうなるでしょうか?
実は、修正工業化社会になっても「情報の非対称性」は解消されないのです。なぜなら、修正工業化社会のベースは工業化社会のコードで出来ているからです。工業化社会に存在した一部の非対称性は解消されるでしょう。しかし、その代わりに新しい非対称性が生まれることになります。
修正工業化社会で新たに生まれる「情報の非対称性」、これによって一体誰が得をするでしょうか?それは、修正工業化社会への変化を牽引してきた推進派に他なりません。修正工業化社会に移行することで、工業化社会時代の既得権益者からポジションを一部奪い取るのです。これこそが、修正工業化社会に留まりたい勢力の狙いなのです。彼らの本質は、改革者のふりをしたリバタリアンです。既得権益者のポジションを獲得した彼らは、非対称性が解消される「真の脱工業化社会」を歓迎しないでしょう。
真の脱工業化社会から見ると、工業化社会も修正工業化社会もポテンシャルが低い社会です。修正工業化社会の方が脱工業化社会に近いですが、真の脱工業化社会とのポテンシャルの差を見ると、修正工業化社会も工業化社会も大差ありません。俯瞰してみると、工業化社会から修正工業化の変化は、一部の既得権益者が変わっただけと言えるでしょう。
真の脱工業化社会を目指す勢力
これに対して、「真の脱工業化社会」の実現を目指す勢力は、真の改革者と言えます。彼らは中立の立場で、どの組織の利益のためでなく、社会全体の利益のために行動します。非対称的市場を対称的市場にシフトすることを考え、共感的コミュニケーションでチームを作り、脱工業化を牽引します。
「そんな人達が存在するわけがない」、そう思われるかもしれません。しかし、そんなことはありません。歴史を振り返ってみると、明治政府の富国強兵政策と優勝劣敗思想に対峙した私立学校<<私学の系譜>>は、その役割を担っていたと言えるでしょう。現代においても、<<私学の系譜>>を継承している私立学校と先生方は、私の周りにも確かに存在しています。本当に子供たちの未来を考えるのであれば、険しくともこの道を選ぶのではないでしょうか。(続く)
One comment
Pingback: Society5.0は脱工業化社会(8) | 福原将之の科学カフェ